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「浮世の夢は暁の空」②

つくばの進学塾「竹進」の社会科講師の山口です。

「浮世の夢は暁の空」①の続きです


家康も信長も甲斐の武田氏と同盟を結んでいましたが、両者とも

後に同盟を解消し、武田氏としのぎを削ることになりました。


武田氏は恐ろしい相手ですよね。


家康は三方ケ原の戦いで百戦錬磨の武田信玄に大敗を喫し、

命からがら逃げ帰りました。


しかし、甲斐の虎と言われた武田信玄は1573年に急死、

その2年後に信長・家康連合軍は長篠の戦いで信玄の子、

勝頼に大勝します。

そして1582年に、天目山の戦いで名門武田氏は滅亡することに

なってしまいました。


家康、信長の関係は対等なものから信長の勢力が強まるにつれ、

形は同盟ながら、実質主従関係に変わっていたようです。


家康は、1579年信長から正室築山殿と嫡男信康に対して、

武田氏への内通疑惑がかけられ、信長の命令で築山殿の殺害、

信康の切腹を家臣に命じています。(武田氏の内通は通説、

疑問点も多いようです。)

信長に逆らうことのできない家康の心中は如何ばかりか…。


「築山は女だから尼にでもして逃がしてやればよかったのに…」

と家臣に小声で言ったとか。戦国の常と言え、つらいことです。


「浮世の夢は暁の空」③に続きます