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職員室だより
社長 渡部
2015.05.18

孤独な部分

初めまして。つくばの進学塾「竹進」の国語・英語担当の尾高です。

 

つい先日、メールでやりとりをしていたところ、「孤独」という言葉が

相手の文面に顔を出しました。他愛のないゴシップ程度の話題に、

ごく軽いニュアンスで登場しただけなのですが、この言葉を目にする

たびに思い出すエピソードがあります。

 

今は北国の大学で教鞭を執っている年長の知人から、かつてこんな昔話を

聞きました。彼はもともと編集者や評論家としての実績を持つ人なのですが、

出版社のパーティーの席である高名な映画評論家に会う機会があったそうです。

 

その評論家は1980年代頃に、当時としては斬新なアプローチの批評を次々と

発表し、後の世代に(強烈な反発も含めて)深い影響を及ぼした人物です。

映画の世界において国際的な発言力もある。

 

そんないわば「カリスマ」の周りには当然、たくさんの取り巻きが集まります。

パーティーの間中、彼を持ち上げるような挨拶をしたり、言葉をかけたりする

人たちは絶えることがありません。

一人の人間を特権的にあがめたてまつる、そのような場の空気が私の知人は

苦手でしかたがなかった。

 

ところが、彼は本人と話していて気がついたのだそうです。

どんなに取り巻きたちから賞賛を浴びても、個人の中にある孤独な部分を

この人はきちんと守っていると。

また、それを目のあたりにしてから、この評論家を信用できるようになったのだ

とも言います。

 

さて、私がそんな話を聞いたのは、お互いに大分お酒の酔いが回っている

時でした。ぐでんぐでんになって居酒屋のそばの駅で別れたのですが、

しばらくしてから「あ、しまった!」と電車の中で頭を抱えてしまいました。

彼が一体、評論家氏のどんな言葉に、あるいはどんな仕草に孤独な部分を発見した

のかという肝心なことを、私は聞きそびれていたのです。

もしかしたら彼はそれをわざとぼかしていたのかも知れませんが。