スタッフブログ

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国立歴史民俗博物館②

つくばの進学塾「竹進」の塾長の渡部です。


国立歴史民俗博物館①の続きです


歴博で質問した事。

①『ブタの頭骨からブタが歯周病にかかっていた。

つまり、人がエサを与えていた証拠だ。』との展示があったが、

人がエサを与えたブタは歯周病にかかるのか?


②石包丁に穴が2つあいてるのはひもを通すためか。


③底部を穿孔した土師器の壺は何に使ったのか。


④銅鏡で三神三獣とあるが、三神や三獣は鏡の中のどれで、

具体的には何を表しているのか。 など。


歴博のある佐倉市は、文化の高い街だと思った。

佐倉城址公園を歩いていると、草木に名前の札がついている。

さらにいくつかの木には、プレートがついている。

それには花、葉、実の絵がかいていて、その木の特徴、使われ方、

実はどんな鳥が食べるのかが、書かれている。


これがヒントになって、答えはプレートをめくるとわかるように

なっている。子供達に親しんでもらおうという意図を感じた。

子供を大切にする文化の高さを感じた。


国立歴史民俗博物館①

つくばの進学塾「竹進」の塾長の渡部です。


先日、佐倉市の国立歴史民俗博物館(歴博)に行ってきた。

展示室は、第1から第6まであるのだが、4時間位かけても第1、

第2展示室しか廻れない。

それ位規模が大きい。


中世の洛中洛外図屏風と、京都の再現模型があった。

軒先に旧形状のものを飾っている家があったので、学芸員さんに

質問すると、酒屋で新酒が、できあがったことを知らせる杉玉

だとのことであった。

現代でも飾っている造り酒屋が、あるとのことであった。


歴博では、学芸員さんが多い。

ちょっとした事でも疑問に思うとどんどん質問する。

人に教える仕事をしていると、人から教えてもらう経験は、

とても貴重で新鮮だ。

質問した学芸員さんは、とても親切に教えてくれる。


私達も、生徒に質問されるととてもうれしいのだが、学芸員さん

も質問されるととてもうれしそうに話してくれる。

知識が増えるだけでなく、心がほっこりする。


国立歴史民俗博物館②に続きます

「熊と猫、そして天狗」④

つくばの進学塾「竹進」の社会科講師の山口です。

「熊と猫、そして天狗」③の続きです


しかし、天狗党側が実権を取り返すと、諸生党側に対する報復が行われ、

血で血を洗う抗争が繰り広げられ、多くの逸材が失われて、明治政府に1人も

高官を送ることができなかったと言われます。


天狗党の志士が監禁された鯡倉の1つが、敦賀市から水戸市に寄贈され

回天館と名付けられて、現在は水戸市松本町の回天神社に保存されています。

壁や板には、天狗党の人々の血書の文字が残されているようです。


常陸、下総、茨城県人は歴史上の激化した事件に多く関わっています。

平将門の乱、東禅寺事件<イギリス公使館を襲撃>、桜田門外の変、坂下門の変、

天狗党の乱、真壁の地租改正反対一揆、加波山事件、五·一五事件など教科書にも

登場しています。


「茨城県人は骨っぽい、気性が激しい、義に忠実…」

「人国記」にはこのようなことが記されているとか。


「古美術ワンダーランド」の展示絵画は、私に多くの事を語ってくれました。


この記事を書き終えようとしたところで、回天神社に赴いてみたくなってしまいました。

 「善は急げ!」とばかり、志馬君を操って水戸松本町の回天神社を訪れてきました。


水戸市松本町の回天神社

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回天神社内の水戸藩受難者のお墓

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回天神社内の回天館

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報告は次回に!


「熊と猫、そして天狗」③

つくばの進学塾「竹進」の社会科講師の山口です。

「熊と猫、そして天狗」②の続きです


武田耕雲斎の描いた、倒れてしまった竹の絵、その人生の悲運を

象徴しているようです。


武田耕雲斎は、部屋住みであった徳川斉昭の水戸藩主擁立に力を尽くし、

斉昭の藩政改革の中心人物となり、家老職に就いた人物です。


水戸藩では、斉昭後、実権をめぐり天狗党<尊王攘夷派、革新派>と

諸生党<佐幕派、門閥派>の抗争が激化していました。


幕末の水戸藩の悲惨さを象徴するのが天狗党の乱です。


尊攘激派の天狗党が尊王攘夷の即時実行を求めて筑波山に挙兵し、総勢1,000人

以上が京都をめざして西に向かい、各地で幕府討幕軍、討幕の命に応じた諸藩軍や

水戸諸生党と激戦を展開します。


この天狗軍の若手を諌める立場をはじめとっていたのが武田耕雲でしたが、

結局担がれて首領となり悲惨な最期を迎えることとなりました。


天狗党は越前<福井県>に入ると、追討の勢力に取り囲まれ、敦賀で加賀藩に降伏し、

鯡倉<肥料用の鯡を入れておく倉>に監禁され、残酷非道な扱いを受け、幕命により

武田耕雲斎ら350名以上が斬首されました。


その後、水戸藩では諸生党が実権を握り、耕雲斎の妻や幼い子供たちを斬首し、

天狗党側の人物を次々と弾圧していきました。


「熊と猫、そして天狗」④に続きます


「熊と猫、そして天狗」②

つくばの進学塾「竹進」の社会科講師の山口です。

「熊と猫、そして天狗」①の続きです


河鍋暁斎の風刺画には、人間のような猫が描かれていました。

三味線を舟とし、菅笠をかぶって、バチをオールがわりに舟を漕ぐ二匹のネコ。


しかし、見えるのは胸から足まで…。顔は全く見えません。

いったいどのような表情をしているのでしょう!


「三味線の材料としてネコを利用することへの風刺ではないか」と説明が

ありました。


菅笠を取ると、そこに見えるのは…!!


茨城県出身の、室町時代後期の佐竹一族の禅僧で、水墨画家雪村の描いた

布袋さん親子の絵、見事ですね!

 恰幅の良い親布袋さんの体の上に愛苦しい子供の布袋さんがチョコンと乗っていて、

このユーモラスな親子の笑顔の癒し効果は200%です。


「西の雪舟、東の雪村」と言われたそうですが、私は、繊細でダイナミック、

時には枯淡で飄々とした趣を呈し、エネルギッシュでユーモラス、このような筆致の

水墨画を多く残した雪村に魅力を感じてしまいます。


「熊と猫、そして天狗」③に続きます

「熊と猫、そして天狗」①

つくばの進学塾「竹進」の社会科講師の山口です。


 「あんた!そこで何してんのよォ!!」

 群馬県草津の民宿に投宿した時に聞いた、オーナーの奥さんの体験談です。


「家に提供する夕食の食材の山菜を採りに山に入った時、クマに遭遇したの。

私は背が低いので、必死の覚悟で思いっきり両手を上に振りかざし、大きな声で

叫んだのよ。すると、クマは踵を返して逃げて行ってしまったわ!

クマも人間を恐れているのね。」


4月末と今月半ばの2度にわたり、水戸の県立歴史館に赴き、「古美術ワンダーランド」

と銘打った絵画展を観てきました。


姿勢を正し、畏って観る絵画とは一味異なる絵画が多く、思わずニンマリ、心ワクワク、

ドキドキ、ニッコリ、時としてシンミリしてしまいました。


この歴史館にもクマがいました。松本楓風作「宮廷飼熊図」の中に恐ろしいクマが!!


中国前漢の元帝のときの事、虎園に赴いた元帝に、逃げ出したクマが襲いかかろうとした

その時に、妃が身を挺してこれを防ぎ、元帝を守ったという故事を描いた絵です。


人とクマの表情の描写が素晴らしいですね。クマは目を大きく見開き、牙をむき、

今にも獲物に襲いかかろうとしています。妃は悠然とクマに向かって身を進めて行きます。


妃は列女伝にも名が載る女性と言われますが、如何にして夫の元帝を守ったのでしょうね。


やはり、両手を振りかざして大きな声で叫んだのでしょうか。

それとも美しく優しい笑顔でクマを懐柔してしまったのでしょうか?


その後、元帝の妃に対する寵愛は以前にもまして深まったとか。


愛車1馬君と白神山地<世界自然遺産>向かう道中、高速道路に「クマ出没注意!」

という警告を見ながら、「1馬君君は私をクマから守ってくれるだろうか?」ハラハラ、

ドキドキして運転した時の記憶がよみがえってきました。


日立市かみね動物園のクマ

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「熊と猫、そして天狗」②に続きます


言葉で伝える

つくばの進学塾「竹進」の塾長の渡部です。


中3の女子生徒3人から、修学旅行のもみじまんじゅうをおみやげにもらった。

今までにも修学旅行のおみやげを何度ももらったけれど、今回は特に嬉しかった。

それは、「いつもありがとうございます。」と添え書きがあったから。


人間は心の中では思っていても、言葉に出したり、文字に表したりしないけれど、

今回の事で、それは大切なことだと改めて気づかされた。だから私の気持ちも

素直に言葉で表して(ブログにして)伝えることにした。

茨城県立歴史博物館

つくばの進学塾「竹進」の塾長の渡部です。


先日、茨城県立歴史博物館で展示している、「古美術ワンダーランド」

を観に行った。

高速道路を使わないで片道1時間40分位かかった。


私は、昔から絵の良し悪しがわからないと思っていた。

だから今まで絵の解説を読んでから絵を見て、「そんなものか」という

見方をしていた。

けれども、この1年位前から、絵をじっくり観て、何を描きたかったのだろう、

何を伝えたかったのだろうと思い眺めてから解説を読むと、「なるほど」

とも、「エ~そうなのか」と思うことが多くなり、なんだか絵の楽しみ方の

第一歩を踏み出した気がした。


茨城県立歴史博物館で自動式電気釜の開発の展示があった。

高度経済成長期、電気洗濯機や電気冷蔵庫の開発が行われたが、これらは

外国の製品を参考にすればよかった。

しかし、飯炊きは外国の製品にはなく、開発は大変だったようだ。

この開発により、主婦の睡眠時間を1時間増やしたといわれるが、今の生活は

先人の苦労の上にあるのだなとしみじみ思った。