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家庭内イベント

つくばの進学塾「竹進」の算数・数学担当の山沢です。


お盆休みも終わりました。

受験生は有意義な使い方をしましたでしょうか。


長期休暇ではおそらく家族もそろうので、場合によっては

「家庭内イベント」のようなものもあったのではないですか?


イベント、といっても決して大きなことをする必要はありませんね。

今日は家族みんなでちょっと外食…その程度のものでも十分イベントです。

私が聞いたり経験したりした、ちょっと変わった家庭内イベントを

紹介します。


私の母の実家では年末に「今年の重大ニュース発表会」なるものがあった

らしいです。

大晦日の夜、(おそらくテレビに紅白でもつけながら)その年に起こった

できごとで最も思い出深いものを順に言っていくというものです。

が、決して必ずしも政治・経済等に関係するようなおカタい話ではなく、

例えば「彼氏にフラれた」とか他人が聞いたら心の底からどうでもいい

と思うような内容で盛り上がったといいます。


次の例は現在も私の実家で行われているものですが、皆の休みが合うときに

「大カラオケ大会」というものがあります。

ちなみにこのお盆中にもありました。

ただ定期的にカラオケボックスに行くだけなのですが時間が長時間。

今回は11 : 00 ~ 4 : 00でした。

私の家族はみなカラオケ好きで、カラオケボックスに住めと言われたら

住んじゃってもいいかなというくらい好きです(誇張)。


いずれの例もよくよく考えると(いや、考えなくても)大したイベント

ではありませんが、大事なのは記憶に残るということ。

こうして他人に話すときのネタにもなりますし、「最も身近にいる他人

(自分でない人、の意)」である家族を大切にする気持ちも強くなる

のではないでしょうか。


……なんか書き出しで考えていたよりもずっといい感じにまとまって

しまった。

「浮世の夢は暁の空」⑧

つくばの進学塾「竹進」の社会科講師の山口です。

「浮世の夢は暁の空」⑦の続きです


徳川ミュージアムに展示されていた、家康筆四字一行書の

「花鳥風月」、柔らかく、軽やかで円やかなその筆致が、

二百数十年にも及ぶ江戸幕府の礎を築き、東照大権現という神

にまでなった人物のものとは意外でもありました。

しかし、その人生を想うと、これも納得できることです。


辞世の句 「うれしやと 二度さめて 浮世の夢は 暁の空」


苦難の人生を歩み、大願成就を果たした人物の胸中の晴々しさ、

清々しさを感じさせる句ですね。 


展示物の数は多くはありませんでしたが、家康が諸戦をくぐり抜け、

泣き、恐れ、悩み、省み、克己に努め、大きく成長し、家臣を大切にし、

彼らに支えられ、天下をとり、江戸幕府の基盤を築いたその一生を

間近に垣間見た思いがしました。


徳川ミュージアムの展示を観た後に、弘道館<今年4月に日本遺産に

認定されました。>と水戸城で唯一現存する建築物の薬医門

(水戸一高にあります。)を見学してきました。


1.水戸弘道館に隣接する、三の丸小学校の白壁の塀

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2.水戸城にあった古木

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 3.三の丸小学校の正門

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4.水戸一高内の薬医門、水戸城本丸から二の丸に通じる

橋詰門かと言われています。安土桃山時代末期に建築。

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5.二の丸跡にある水戸市立二中の正門。まるで武家屋敷のようです。

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6.水戸藩初代藩主徳川頼房。徳川家康の十一男で、徳川光圀の実父。

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7.弘道館。最後の将軍徳川慶喜は幼少からここで厳しい英才教育を

受けました。水戸城から石蹴りをしながら通学して叱られたそうです。

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8.弘道館正庁。最大の藩校で、生涯教育を原則として卒業は

なかったそうです。

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9.1868年の弘道館戦争<水戸藩内の諸生党と天狗党の戦争、

水戸藩最後の激戦>での、正庁玄関引き戸の弾痕

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10.弘道館至善堂。徳川慶喜は大政奉還後、ここで4ヶ月間

謹慎生活を送りました。

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11.弘道館内にある慶喜の長持ち。<衣装などを入れる箱>

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12.水戸城御三階櫓。質素な造りです。

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13.水戸城の瓦あれこれ。

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14.水戸城の瓦。三つ葉葵軒丸瓦。

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この二ヶ所で素敵な女性と男性にお会いして、貴重な話を伺いました。

報告は後日に。

「浮世の夢は暁の空」⑦

つくばの進学塾「竹進」の社会科講師の山口です。

「浮世の夢は暁の空」⑥の続きです


前述のように「切腹する」を繰り返す家康ですが、自分の欠点を

よく認識し、克服していったようです。

まさに「学習の人」「克己の人」であったのですね。


多くの名言、格言を遺しています。


「勝つことばかり知りて、負けることを知らなければ害その身に至る。」


「得意絶頂のときこそ隙ができることを知れ。」


「決断は実のところそんなに難しいことではない。

難しいのはその前の熟慮である。」


「諌めてくれる部下は、一番槍をする勇士より値打ちがある。」


「最も多くの人間を喜ばせたものが最も大きく栄える。」


「天下は天下の人の天下であって、我一人の天下と思ってはならない。」


「家臣を率いる要点は惚れられることよ。これを別の言葉で心服とも言うが、

大将は家臣から心服されねばならないのだ。」


「願いが正しければ、時至れば必ず成就する。」


「滅びる原因は自らの内にある。」


家康の人生から紡ぎ出された、含蓄に富む言葉ばかりですね。


・奥宮宝塔に至る階段の途中にありました。

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「浮世の夢は暁の空」⑧に続きます


「浮世の夢は暁の空」⑥

つくばの進学塾「竹進」の社会科講師の山口です。

「浮世の夢は暁の空」⑤の続きです


家康は切羽詰まると、よく「切腹する」「討死する」と言い、

家臣に止められることが度々あったようです。


本能寺の変で織田信長が家臣明智光秀の裏切りにより横死すると、

小数の家臣と堺にいた家康は狼狽し、「切腹するぞ!信長公の

後を追おう。」と言った時には、本多忠勝<古参の功臣で

徳川四天王の一人、江戸幕府樹立に功績を立てました。>

の諌めにより翻意し、明智光秀軍や落ち武者狩りを避けるため

伊賀の険しい山道を越え<いわゆる伊賀越え>、三河に戻っています。


大阪夏の陣の折には、豊臣方の真田幸村(信繁)<日本一の兵と

言われた武将で烏合の衆である浪人達を巧みに束ね、家康の首級を

とることを目標に勇敢に戦い、家康の本陣に突撃を繰り返しました。

2016年の大河ドラマ「真田丸」の主人公です。主演は堺雅人さんですね。>

の攻撃を受け、窮地に追い込まれた家康は騎馬で逃げる途中、

何度も「切腹する。」を口走り、これもまた家臣によって止められる

ことになりました。


堺の南宗寺には家康の墓があり、家康は、真田幸村により傷つけられ

亡くなったという俗説もあるようです。


 「浮世の夢は暁の空」⑦に続きます

「浮世の夢は暁の空」⑤

つくばの進学塾「竹進」の社会科講師の山口です。

「浮世の夢は暁の空」④の続きです


天下は一人ではとれません。家康は優秀な部下に支えられ、

天下を手中に収め、幕府を開きました。

部下を大切にする器量人だから、多くの家臣が従ったのでしょう!


しかし、その家康も長い人生の中で窮地に立たされたことが

何度もあったようです。前述の、武田信玄と争った三方ケ原の戦い

に惨々に敗れ、武田軍の追撃を恐れるあまり、馬上で脱糞しながら

命からがら逃げ帰ったと言われます。


その時の憔悴し苦渋に満ちた自分の顔を絵師に描かせ、

生涯手元に置き、武田軍の挑発に乗り、多くの将兵を失った反省から、

自らの戒めとしていたとか。

この絵は「しかみ像」と呼ばれています。


「浮世の夢は暁の空」⑥に続きます

「浮世の夢は暁の空」④

つくばの進学塾「竹進」の社会科講師の山口です。

「浮世の夢は暁の空」③の続きです


家康は馬術・武術・剣術・砲術の達人で、絶えず鍛錬に励み、

早起きをし、節食を心がけ(麦めし、実だくさんのみそ汁、

丸干しイワシなどを常食、これらにはビタミンB・E、食物繊維、

イソフラボン、レシチン、サポニン、DHA、EPAなどが豊富に

含まれています。)75歳で天寿を全うしていますね。


当時の平均寿命は37歳ぐらいだとか。

いかに長寿であったのかがわかりますね。


水戸徳川家が家康から譲り受けた「烏犀園」という薬壺が

展示されていました。中にはペースト状の薬が入っているようです。


健康には充分に気をつかい、合戦に行く時も薬の専門書を携え、

暇さえあれば読んで研究していたとか。

100種類以上の薬を調合し、自らも常用、大名や家臣にも

分け与えていたと言われます。


やはり苦労人、部下の健康にも思いやることができるのですね。


「浮世の夢は暁の空」⑤に続きます

「浮世の夢は暁の空」③

つくばの進学塾「竹進」の社会科講師の山口です。

「浮世の夢は暁の空」②の続きです


家康から水戸藩初代徳川頼房(家康の十一男)に贈られた軍扇

<戦の指揮に使う扇>の「金銀日月星紋」は、大層に立派なものです。


骨は黒漆塗り、大振りで表には煌びやかな朱、金の地に日(太陽)、

裏には三日月の図柄(裏を見ることはできませんでした。)が描かれ、

表裏で昼と夜を表現しているそうです。


戦国武将にとって合戦は命懸け、敗れれば敵に首級をとられ、

領地を失い、一族、縁者や家臣に広く累が及びます。

吉日と凶日を気にかけ、軍扇を呪術的な道具として使い分けていたようです。

呪の力を借りても戦いを有利にしよう、と考えることも理解できますね。


今日は仏滅だから表の「日」の方を使おう!と、このような具合でしょうか。


東照宮縁起絵巻の一部で、関ヶ原の戦いを描いた絵が展示されていました。


1600年9月15日朝に始まった戦いはおよそ6時間で決着がつきました。


よく目を凝らして見ると、絵はかなりリアルに描かれています。


矢を体に受けた馬がもんどりを打ち、その背から転げ落ちる武者、

まなじりを決し、刀を上段に振るい、敵の頭上に斬り込む者…。

実戦もこのような有様であったのでしょう。雄叫びや叫喚の声が

あちこちから聞こえてくるようでした。

戦いの凄まじさがこの絵から伝わってきます。


家康が愛用した馬の鞍が展示されていました。


幾多の戦いを潜り抜けたその鞍はピカピカに光っていたのです。


馬上に乗り、戦場で軍扇を手に取って指揮をする姿がありありと

想像されます。


「浮世の夢は暁の空」④に続きます

「浮世の夢は暁の空」②

つくばの進学塾「竹進」の社会科講師の山口です。

「浮世の夢は暁の空」①の続きです


家康も信長も甲斐の武田氏と同盟を結んでいましたが、両者とも

後に同盟を解消し、武田氏としのぎを削ることになりました。


武田氏は恐ろしい相手ですよね。


家康は三方ケ原の戦いで百戦錬磨の武田信玄に大敗を喫し、

命からがら逃げ帰りました。


しかし、甲斐の虎と言われた武田信玄は1573年に急死、

その2年後に信長・家康連合軍は長篠の戦いで信玄の子、

勝頼に大勝します。

そして1582年に、天目山の戦いで名門武田氏は滅亡することに

なってしまいました。


家康、信長の関係は対等なものから信長の勢力が強まるにつれ、

形は同盟ながら、実質主従関係に変わっていたようです。


家康は、1579年信長から正室築山殿と嫡男信康に対して、

武田氏への内通疑惑がかけられ、信長の命令で築山殿の殺害、

信康の切腹を家臣に命じています。(武田氏の内通は通説、

疑問点も多いようです。)

信長に逆らうことのできない家康の心中は如何ばかりか…。


「築山は女だから尼にでもして逃がしてやればよかったのに…」

と家臣に小声で言ったとか。戦国の常と言え、つらいことです。


「浮世の夢は暁の空」③に続きます