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職員室だより
代表取締役 渡部
2019.10.29

ことばの可能性と限界

つくばの進学塾「竹進」の統括部長の渡部です。

 

最近「ことば」についていろいろ考えています(暇人ですね)。

よく異文化コミュニケーションといわれ、「言葉の壁」

が話題になりますが、よくよく考えると、同じ言語を使っている

人間同士でさえ、完全な理解を求めてコミュニケーションを

するのは非常に難しいですよね・・・。

 

「言ったはずなのに・・・。」と思う事は誰しもあるはず。

私のような素人が考えても、理解を阻害する要因は以下のように

たくさんありますね。

 

①感情・・・同じ言葉でも感じる「思い」は違う。

「夕方」と聞いて、「寂しさ」を感じるか、「ほっとした思い」

を感じるか、「胸騒ぎ」を感じるか、「ワクワク」を感じるか。

 

②体調・・・その時のコンディションで言葉の受け取り方が違う。

体調が良いとポジティブに感じるし、その逆もしかり。

 

③価値観・・・言葉を聞いて連想する価値観は人によって違う。

「国家」と聞いて、ポジティブに感じたり、その逆もしかり。

「資本主義」?「社会主義」?「グローバリズム」?などなど。

 

④感覚・・・聴覚の感度は千差万別。

聴覚の感度も、言葉の理解には大きく影響しているでしょう。

もしかしたら、人によっては全く違う聞こえ方をしているかも

しれません。何しろ聴覚・視覚・味覚・触覚・嗅覚の5感が

混じっている人もいるぐらいですから^^;

 

こうやって考えるとむしろ「理解」というのは一種の「奇跡」

なのではないか?とすら思えてきます。

しかし逆に言えば、過度に他人に理解を求めて嘆いたり、

怒ったり、憎んだり、あるいは絶望したりせずに、「自分は自分」

と腹をくくったほうが精神衛生上は良いかもしれませんね^^

 

もちろん「理解」すること、されることへの努力は惜しまなく!