ことばの可能性と限界
つくばの進学塾「竹進」の統括部長の渡部です。
最近「ことば」についていろいろ考えています(暇人ですね)。
よく異文化コミュニケーションといわれ、「言葉の壁」
が話題になりますが、よくよく考えると、同じ言語を使っている
人間同士でさえ、完全な理解を求めてコミュニケーションを
するのは非常に難しいですよね・・・。
「言ったはずなのに・・・。」と思う事は誰しもあるはず。
私のような素人が考えても、理解を阻害する要因は以下のように
たくさんありますね。
①感情・・・同じ言葉でも感じる「思い」は違う。
「夕方」と聞いて、「寂しさ」を感じるか、「ほっとした思い」
を感じるか、「胸騒ぎ」を感じるか、「ワクワク」を感じるか。
②体調・・・その時のコンディションで言葉の受け取り方が違う。
体調が良いとポジティブに感じるし、その逆もしかり。
③価値観・・・言葉を聞いて連想する価値観は人によって違う。
「国家」と聞いて、ポジティブに感じたり、その逆もしかり。
「資本主義」?「社会主義」?「グローバリズム」?などなど。
④感覚・・・聴覚の感度は千差万別。
聴覚の感度も、言葉の理解には大きく影響しているでしょう。
もしかしたら、人によっては全く違う聞こえ方をしているかも
しれません。何しろ聴覚・視覚・味覚・触覚・嗅覚の5感が
混じっている人もいるぐらいですから^^;
こうやって考えるとむしろ「理解」というのは一種の「奇跡」
なのではないか?とすら思えてきます。
しかし逆に言えば、過度に他人に理解を求めて嘆いたり、
怒ったり、憎んだり、あるいは絶望したりせずに、「自分は自分」
と腹をくくったほうが精神衛生上は良いかもしれませんね^^
もちろん「理解」すること、されることへの努力は惜しまなく!