水戸茨城県立歴史館にて
つくばの進学塾「竹進」の塾長の渡部です。
先日、水戸の茨城県立歴史館の「徳川慶喜」展に行ってきた。
江戸幕府は、15代将軍である徳川慶喜はとても聡明で、
徳川家康の再来と言われていたそうだ。
15代将軍になるまでには、井伊直弼に追放されたりした。
歴史の歯車は逆回転できないが、慶喜が、もっと早く将軍になっていたら、
歴史はまるっきり変わっていたかもしれないと思った。
徳川慶喜には21人の子供が、いたそうだ。
しかし、その内の半分弱は、1年以内に亡くなっている。
現代ほど医療が発達していない明治初期では、
赤ん坊の内に死亡することが全然珍しいことではないのだな、
とつくづく思った。
江戸時代は大名が、徳川家の親戚である親藩、関が原の戦いの以前から
徳川家に従っていた譜代大名、関が原の戦い以降に従った外様大名に分かれている。
茨城県は御三家の水戸藩があったが、親藩は9大名、譜代46大名、外様13大名いた。
茨城県は江戸に近いので、外様がいると危険なのだが、小さい規模の
外様を配したようだ。これは、親藩は9大名で、計約93万石、
外様13大名で計約25万石ということからもわかる。
江戸時代のつくば市にあった大名は3藩であった。
現在のつくば市北条の堀田家、譜代で1.3万石、
つくば市玉取の堀家、外様で0.3~1万石、
つくば市谷田部の細川家、外様で1.6万石である。
すぐ近くに、江戸時代、大名がいて、そこで生きている人々がいたことを
しみじみ感じたことであった。